江戸の伝統工芸品組合シリーズ
武蔵野の大地に育まれた伝統を織りなす本場“村山大島紬”


村山織物協同組合:〒208-0004 東京都武蔵村山市本町2-2-1
TEL:042−560−0031
FAX:042−560−6252
http://www10.ocn.ne.jp/~murayama/
e-mail:orkou@proof.ocn.jp

(村山織物について)
 村山織物の歴史は、古く奈良時代に遡り大陸からの帰化人によってその技術が伝えられたのに始まり、産業としての織物は、江戸時代の文化年間に創始された“村山絣”が中藤村を中心に生産され発展を見ましたが、明治の末を最盛期として年々衰退化を辿り、ついに昭和13年をもって“村山絣”はその歴史に終わりを告げました。この間、消費動向の変化により綿織物より絹織物の生産が拡大され、大正6年村山村の誕生と共に先進地である伊勢崎から職人を招聘し、現在の村山大島紬の中核技術である「板締染色」等の技術が導入され、大正11年から本格的な“村山大島紬”の生産が開始されました。


伝統的工芸品“村山大島紬”
 その後、幾多の変遷を経て“村山大島紬”は、昭和42年3月に東京都の「無形文化財」の指定を受け、さらに昭和50年2月には通産大臣指定「伝統的工芸品」の第一次指定を受け、本物志向の需要に支えられ“手作りの村山大島紬”として今日に至っています。
(組合について)
 組合の歴史は、村山織物の歴史と共に歩み、 明治29年に木綿絣業者による「準則組合」 の設立に始まり、その後「武蔵太織縞改良組合」「武蔵飛白同業組合」等の設立や「青梅織物同業組合」への編入を経て、大正5年頃「武蔵銘仙改良組合」に統合化が図られました。
 大正10年には「八王子織物同業組合」へ 編入され「村山大島部会」となりましたが、昭和4年に組合員237人により“村山織物同業組合”を設立、戦時体制を経て戦後の昭和23年に「村山織物工業協同組合」に改称、さらに昭和25年10月に現在の“村山織物協同組合”に再度改称し今日に至っています。
村山大島紬でカバーされた「村山織物史」
(組合活動について)
 昭和4年の同業組合設立以来産地組合として、組合には織物製造業者を中心に買継業者や染色業者も加入していましたが、現在では、武蔵村山市を中心とした多摩地域と近隣の埼玉県南部の入間市等の織物製造業者である組合員25人によって構成されています。
【本場 村山大島紬 正絹】の部分が“口織文字”
組合事業は、戦後は組合における共同加工や製品検査と組合員の運転資金等の転貸事業を主体に展開しましたが、中でも昭和28年“村山大島紬”口織文字を制定したことは特筆に値します。
 その後、昭和50年に国の伝統的工芸品として指定を受けたことにより一つの転機を迎え、更なる後継者の育成や品質管理の徹底等を行い、伝統的工芸品としての製品作りに邁進しています。

 そして、現在組合では、伝統的工芸品とし ての責任ある製品検査と東京をはじめとする 全国各地で開催される伝統的工芸品やきもの のイベントに積極的に参加して“村山大島紬 ”のPRに努めています。
 「村山の地場産業として、地元においても “村山大島紬産地宣伝販売会”や国や都の伝 統工芸士が捺染や手織り等を教える“村山大 島紬ふるさと体験”といったイベントを開催 し、一層の製品のPRと地元の振興にも貢献していきたい。」と理事長にお話を伺いました。
織物組合事務所
一口メモ)
 昭和4年の「村山織物同業組合」の設立に先立ち、昭和3年5月には“織物組合事務所”が建設されました。この建物は、旧青梅街道に面した外観もさることながら内部が漆喰で造られており、昭和初期の貴重な建物として、平成13年に武蔵村山市役所から市の文化財として指定を受けました。
 この建物の1階には、「伝統的工芸品村山大島紬展示資料室」が設置されており、絣板加工用具から始まり糸繰機、整経装置、村山大島紬の一大特色である“板締染色装置”、絣返し装置、擦り込み捺染装置、手織機といった製造機械装置類の他、過去から現在に至る各種製品も展示され、“村山大島紬”に関する知識を一目瞭然で習得することができます。
(板締染色装置)
(絣返し装置)
(手織機)
 この資料室は、組合事務局営業時間中であればどなたでも無料で見学することができるそうです。

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