江戸の伝統工芸品組合シリーズ
「多摩織」の伝統を生かした都市型ファッション産地を目指す八王子織物


八王子織物工業組合 :〒192-0053 東京都八王子市八幡町11-2
TEL:042−624−8800
FAX:042−625−5478
http://www.kougei.or.jp/tamaori/

 八王子織物の歴史は、遠く万葉の時代に遡ります。
 戦国末期の北条氏照の時代には、「八王子八景」の詩歌に「桑都青嵐」が詠われ、既に養蚕や機織りが盛んに行われていた様子がうかがわれます。
 八王子織物工業組合の歴史は、その前身である「八王子織物同業組合」が明治32年に重要輸出品同業組合法に基づき機屋をはじめ買継商、撚糸といった関連業者も含めて約3900人で設立されたことにはじまります。
 当時は、化学染料の乱用による織物品質の低下が織物問屋等から指摘され、組合や染色講習所(現東京都立八王子工業高校)の設立もこの粗製濫造の防止に大きな目的があり、業界関係者はこれを克服すべく一体となって取り組みました。
 その後、昭和15年の同業組合の解体、戦時中の青梅・村山の各産地も含んだ統制組合時代を経て、戦後の昭和25年に「八王子織物協同組合」に名称変更し、さらに昭和33年に現在の「八王子織物工業組合」に組織変更して現在に至っています
八王子織物・多摩織パンフレット
100 周年記念パンフレット
 戦禍(八王子空襲)による壊滅的な打撃や戦後の産業構造の変化に伴う織機の廃棄など、時代の流れに揉まれながらも幾多の困難を乗り越え、先人達は産地の発展と振興に尽くし、平成11年には組合創立100周年を迎えました。 
 そのような歴史を刻んできた八王子織物も、大正14年のネクタイ生産の開始や昭和32年にはそれまでの着尺原料である生糸にウールが加わり爆発的な人気を呼んだことが、今日の発展のきっかけとなりましたが、和装着物産地としては昭和45年をピークに、大衆呉服の需要の大幅な減少や経済変動により、生産量は減少を辿っているのが現状であります。
 一方、八王子織物は「多摩織」の統一名称のもとに昭和55年に通商産業省から、続いて昭和57年には東京都から伝統工芸品の指定を受け、今日も機織職人の手から手へと伝統の技術を守りながら多摩の里で織られ続けています。
 いつの時代でもファッション文化は、目まぐるしく変化していきます。今日では、“きもの”の需要が伸び悩み、着尺などの和装品から生産のウエイトの6割以上を紳士や婦人の洋服地やネクタイ・マフラーなどの洋装品が占めるようになりました。
 組合では平成10年に新ブランド「マルベリー・シティ」(桑の都)の商標登録を行い、地元八王子をはじめ東京や京都で各種の展示会等を開催し、全国的に知られる八王子織物のブランドとして高い評価を受けています。 
 「八王子は、他の織物産地に比べ都心に一番近い地の利を活かした都市型ファッション産地として高付加価値産業を目指していきたい。」と嶋村明美理事長(当時)、多田照経専務理事からお話を伺いました。
お話しを伺った
嶋村理事長(当時)

八王子繊維貿易館入口の
小山省二氏胸像
一口メモ)
 小山省二八王子織物工業組合第11代理事長について

 小山省二氏は、明治38年8月に現在の東京都町田市小山町で生まれ、東京府立八王子織染学校を卒業の後、八王子市 において織物製造業を営み、八王子織物工業組合第11代理事長の他、昭和22年2月八王子信用購買組合理事長、同29年4月東京都信用組合協会会長、同30年3月全国信用組合協会会長を歴任しました。
 また、昭和38年3月から同59年5月までは、本会(東京都中小企業団体中央会)第3代会長を務め、同42年6月からは全国中小企業団体中央会会長も務めました。
 その他、昭和24年から東京都議会議員を4期、都議会議長を経て、同38年11月から衆議院議員を4期、この間昭和43年12月労働政務次官、同46年7月自治政務次官に就任し国政に寄与すると共に、中小企業者・中小企業団体の代表として議会の場において活躍されました。
 昭和59年5月からは、本会名誉会長に就かれ、平成元年4月に84歳で亡くなりました。 (昭和43年4月藍綬褒章、同52年4月勲二等旭日重光章受章。)
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