東京紹介組合シリーズ
世界の“銀座”のPR誌「銀座百点」を発行する銀座百店会


 
協同組合銀座百店会  東京都中央区銀座5-8-20
 
http://www.hyakuten.or.jp/

銀座四丁目から見た組合事務所のある「コアビル」方面
 “銀座”という地名は、江戸幕府が銀貨鋳造所をこの地に置いたことに由来し、明治2年から銀座という地名が使われる様になりました。その当時の銀座は、銀座一丁目から四丁目までで、銀座が八丁になったのは関東大震災から復興した昭和5年からのことです。その時、同時に西銀座ができ、さらに昭和25年に東銀座ができました。そして、昭和43年に西も東も無くなり、現在の銀座一丁目から八丁目が誕生しました。その間、銀座は首都東京の中心街として、また日本を代表する街として、常にファッション・音楽等の日本文化をリードしながら発展してきました。
 「協同組合銀座百店会」は、昭和29年10月にこの銀座のPR誌を発行するために、銀座に店舗を持ち、常に信用と奉仕の“百点満点”を心する100店が集まり設立された任意団体「銀座百店会」を母体とし、昭和41年12月に金融事業を行うために法人化して現在の「協同組合銀座百店会」が誕生し、今日に至っています。
 現在、組合員は150人で事業としては、メイン事業である「銀座百点」の発行とクレジット事業を行っています。
 「銀座百点」は、昭和30年に創刊された日本のタウン誌の草分け的存在で、銀座のかおりをお届けする雑誌として、情報だけでなく、銀座の文化を表現することをポイントに置いて編集されています。中でも各界有名人によるエッセイ、座談会は読み応え十分で、創刊号から久保田万太郎、吉屋信子、源氏鶏太ら著名なメンバーが執筆陣として加わり、その後「銀座百点」の連載から向田邦子「父の詫び状」、池波正太郎「銀座日記」、和田 誠「銀座界隈ドキドキの日々」等多くのベストセラーが生まれました。平成8年11月に「東京クリエイション大賞・タウン賞」、平成12年4月に「第8回スポニチ文化芸術大賞・優秀賞」を受賞し、平成12年9月で通算550号を迎えました。
 「銀座百点」は、創刊以来毎月1日に発行されており銀座百店会会員の店頭にて無料で配布している他、定期購読希望者には年間3,150円で送付もしています。
 現在、組合では6人の女性スタッフが銀座中を歩き、毎月の「銀座百点」企画・編集を行っている他、クレジット事業として組合員の取り扱ったクレジットカードの事務処理及び精算を行う一括事務取扱事業と、ダイナースカードと提携して会員店で利用すると倍のポイントが加算される「銀座百店会ダイナースカード」の発行も行っています。
組合発行の銀座PR誌「銀座百点」
「銀座百点」創刊号(復刻版)と500号記念号

銀座二丁目にある
「東京都中小企業会館」
<一口メモ>
・中央会事務所と「東京都中小企業会館」について
 “銀座”といえば我が中央会もあります。
 中央会は、昭和31年1月25日に東京都中小企業等協同組合中央会として設立され、昭和33年6月に現在の「東京都中小企業団体中央会」に名称変更しました。
 その当時は、朝日新聞本社(現マリオン)の斜向かいの都の電気研究所ビル(現都駐車場公社駐車場)の中に事務所がありました。
 その後、中央会役員の奔走により、昭和27年に埋め立てられた“三十間堀”を東京都から当時の銀座商業協同組合が払い下げを受けた土地の一部を組合のご協力により買い受け、そこに念願の「東京都中小企業会館」が完成したのに伴い移転し現在に至っています。 その当時は、7階の中央会事務所からでも豊洲のIHIのドックのクレーンが見えたそうですが、つくづく時の流れを感じさせられます

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