適材適所

 適材適所こそ、経営のかなめといわれる。私も、むろんこれに意義をさしはさむものではないが、このことを、はっきりと形にあらわしていくのは容易ではない。
 中小企業のなかには、社長の縁続きというだけで、重要なポストについている人が多い。これもおかしいが、入社して一年そこそこというのに「仕事が気に食わない」とか「こういう使い方は、自分のためにも、また会社のためにも利益にならない」などといって、職場の変更を申出るのも、おかしなことと思う。たった一年で、その仕事に向いていないという判断ができるだろうか。いやになったとか、おもしろくないとかいうのは、適材適所にそむいているのではなく、いわば身勝手な言い分としか思えないのである。私は、こう考える。経営者と従業員の忍耐強い協力から生まれ出るものが、本当の適材適所であろうと。
 精魂をかたむけて仕事に打ち込んだなら、その仕事のどこかに興味や魅力を感じるにちがいないし、そうなれば張り合いが出てきていつの間にか、仕事に引き込まれる。適材適所は、最初からあたえられる筋合いのものではなく、時間をかけて、みずからが手に入れるものだと思う。

 世のサラリーマンは、よく「月給だけの仕事をすればよい」という。それもよかろう。しかし、月給分だけの仕事をしているかどうかは、サラリーマン諸君よりも、経営者の方が先に判定してしまうことを、忘れないでほしい。
 働く人の人間性を高め、しかも企業に適合させていくのは、経営者の頭であり、腕であるが、これがなかなか面倒である。ソロバンができないから会計には向かないという考えかたを持つ経営者が決して少なくないが、バカな話である。計算機にまかせれば、ソロバンの得手、不得手などは問題にするにたらないし、それよりも肝心なのは企画力や広い能力であろう。職場の設備や条件次第で解決できる面がいくらもあるのだから、適材適所を、あまりせまく考えるのはどうかと思われてならない。なんの設備、条件もなく、ただ好結果を生み出せというのは無理である。このような設備、このような条件をそろえたから、このような結果を期待するというなら筋道がとおる。適材適所とは、そういうものであろう。仕事が人間をつくるようにしたいものである。
 企業は、いうならばオーケストラである。経営者のタクトのもとに、従業員がそれぞれの楽器に取り組み、みごとなハーモニーを創造しなければならない。


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