世間には「らしさ」ということがある。国の立場からいえば「日本人らしさ」。もっと身近なところでは「男らしさ」「女らしさ」。また「事業家らしさ」「政治家らしさ」「芸術家らしさ」というふうに、どこにでも「らしさ」があってよいのである。いや、なくてはいけないのだといったほうが本当なのである。それなのに、この「らしさ」が薄れ、失われつつあること、今日より、はなはだしきはない。まことに残念千万である。
「日本人らしさ」を失うことは、いつの日か、民族滅亡の悲劇をひき起こすだろう。このごろの、若い男女の風俗、行動、ものの考えかたを、どのように理解してよいのか、とまどうことがある。断っておくが、私は風俗について、排他的な思想を持っているのではない。私たちは、明治以来、外国の風俗をつぎつぎにとり入れてきたし、そのために「日本人らしさ」がそこなわれたとは思わない。外国のニューモードをとり入れるにしても、そこに日本人的な選択が働き、日本人らしい良識が働くならば、大いに結構である。それは、少しも問題でないと思う。ただ、外国の流行だからといって、それを万能のように思い込み、ひたすら追随これつとめるような浅薄さをなげくのである。
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