横目でみたアメリカ
「女性天国ニッポン」

 私は、アメリカで幾人かの“戦争花嫁”の消息をきいた。占領下の日本で、アメリカ人や二世と結ばれ、海を渡って家庭を持った日本女性の後日ものがたりである。彼女たちがどんな暮らしをしているだろうか。かねてから、私が知りたいことのひとつであった。
 ロサンゼルスで友人と話したとき、私は、この問題を持ち出した。すると、友人は、
「彼女らが幸福か?幸福であろうはずがないじゃないか」
 と、言下に答えた。彼の話によると、アメリカではイースト・コーストよりも、ウェスト・コーストの方が離婚率が高いそうです、幸福な結婚などというものは、むしろ例外に属する。異国に嫁いできた黄色い皮膚の日本女性が幸福であろうはずがないというのである。
 しばらくして、シカゴの日本人食堂の主人に会ったら、こんな話をしてくれた。
 ある日、一人のアメリカ人が、日本人のお嫁さんと、二、三人の友人を連れて食堂にやってきた。そして、テーブルに着いた途端に、声高にお嫁さんの悪口を言い出したのだが、それがすべてスラング(方言)なので、当のお嫁さんには少しも通じない。この女は豚のように大メシばかり食いやがって、とかなんとか盛んにいっている。可哀想でならなかったという。日本に駐留していた当時は、贅沢な生活ができたアメリカ兵も、帰国すれば、家族がみんなで働かなければ生活できない。日本からきたお嫁さんも、奥さま然としていられるどころでなく、遊んでいるわけにはいかない。それが実情だという話だった。

 こんな“戦争花嫁”に暗然とさせられたのであるが、その矢先、結婚生活を営んでいる三人の日本女性と会った。ニューヨークのマジソン・アベニュにある日本人食堂で、一人は二世と、一人は白人と、もう一人は黒人との結婚である。
 二世と結婚した人に、
「幸福ですか」
 と、きいてみた。三人のなかで、この人がいちばん明るさを持っているようにみえたからであるが、彼女は、
「私は幸せな方でしょうが、たいていは国情も、言葉もちがうだけに誤解が生じやすく、幸せでない人が多いと思います。微妙なニュアンスが通じ合わないために、どうしても理解できないところがありますから……」
 と、答え、それから身の上話に移ったのだが、彼女は横浜のミッション・スクールを卒業して、いまの二世と結婚した。日本にいたころは、三百ドルの月給だったので、かなり豊かな暮らしができたが、帰国すると、アメリカでは三百ドルの暮らしは文化生活といえず、四百ドルほしいという。しかし三百ドルの月給は薄給の部類に入らない。男は二百五十ドルから四百ドル、女は百五十ドル二百五十ドルというのが相場で、夫婦共稼ぎなら、まずまずの生活ができるのである。それでも子沢山では苦しく、そこで産児制限が実行されなければならない。
 アメリカといえば、だれもかれも豊かで、女性が尊重されるものと思い込んでいたら、たいへんな間違いである。他人のことはよくみえるものだが、アメリカの家庭生活に入ってみると、内情は、かくのとおりなのである。
 広大なアメリカでは、自動車がなくては不便このうえない。パシフィック・レールウェイが一本、アメリカ大陸を横断しているものの、それに乗り込むまでが大変なことである。自動車が必需品になるのは、あたりまえで、それに車を買うためには銀行から楽に金が借りられ、長期月賦で返せばよい。アメリカの普通サラリーマンの家庭なら、共稼ぎが圧倒的に多く、おかげで一日中、まるで顔を合わせず、いっしょに食事をする方がめずらしいという夫婦がいくらでもいる。週に一度の日曜日だけがチャンスといってよい。その日曜を家族でドライブする風景をみて、うらやましいと、目を細める日本女性が、なんと多いことか。
 日本の若い女性にとって、お勤めは結婚するまでの腰かけにすぎない。だから結婚すると、さっさと職場を離れていくのが普通である。さて、家庭に入って、夫の月給が安かろうと、高かろうと、その範囲で切り盛りしていく。家庭の雑事は、たしかに多いが、だからといって「自由」の時間がないわけではない。
 どうも、日本の女性の多くは事務的に生活することがきらいである。生活の余情に心をひかれる。それに引き換え、夫が余情にひかれていては、能率が下がり、上役にしかられるのがオチである。
 ほとんどの夫婦が、共稼ぎをしているアメリカの家庭生活を目の前にみて、正直のところ、私は感慨ひとしおだった。女性天国ニッポン!


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