横目でみたアメリカ
「五つの時間」

 羽田を出発したのが二月十八日午前零時。ホノルル到着はアメリカ時間で十八日午後五時三十分。私の時計をみると、午後十二時三十分(十九日)である。時間の経過だけを考えれば、私の時計の正確さは疑いの余地がなかった。間もなく、それがホノルル・タイムであることを知らされた。まごつかざるをえない。
 さっそく、ホノルル・タイムに時間を合わせて、十八日午後七時三十分、サンフランシスコに向かって出発した。機内のざわめきに、眠りをさまされ、時計をみると、午前五時十五分である。起きるには早すぎると思いながら、なんとなくあたりを見回すと、みなさんパンをかじり、コーヒーを飲んでいる。朝食なのである。
 どうもおかしいと感じて、時間をたずねたら、いま午前七時十五分前だと教えてくれた。私は、またまた時計を二時間進めなければならなかった。七時十五分前だとすると、サンフランシスコに着くまでに、あと三十分しかない。急いで起き上がり、あわてて朝食をとった。ホノルルタイムが、パシフィック・タイムに切換えられたのである。
 そのあと、ロサンゼルスからシカゴへ飛んだときのことだが、ロスを二十四日午後十時二十分にたって、シカゴに着いたのが翌日の午前六時三十分。ここでも、私の時計は午前四時三十分をさしており、またしても時計の針を二時間進めることと相成った。
 ひどく、まごついたのは、シカゴとベントンハーパーを往復するときで、シカゴからミシガンまで列車で一時間半、ミシガンからベントンハーパーまで自動車で一時間なのだが、ミシガンはセントラル・タイム、ベントンハーパーはイースタン・タイムだから、車中で時計の針をまわすのにいそがしく、まことに、目まぐるしい時間の転換であった。

 アメリカには五つの時間がある。サンフランシスコ付近のパシフィック・タイム、シカゴからサンフランシスコにいたる間のマウンティン・タイム、シカゴ付近のセントラル・タイム、それにニューヨーク付近のイースタン・タイムとホノルル・タイムである。
 ニューヨークの超高層建築には格別おどろきもしなかった。それらは岩壁のうえに立つ建築で、地盤がしっかりしているから、技術と資材さえあれば、横に伸びずに、上へ上へと伸びていくのは、しごくあたりまえのことである。地盤がそうさせているだけの話である。
 しかし、国内に五つの時間を持つということは、少なからず、私を驚嘆させた。時間というものが、緯度や経度にもとづいてつくられた人為的なものであるにはちがいないのだが、五つの時間をふところに抱いた国に足を踏み入れて、まごつかされ、おどろかされ、そして、つくづくとスケールの大きさを知らされたのである。おそろしく大きいという実感がある。アメリカの大きさを、この五つの時間ほど、強く印象づけたものは、ほかになかったといってよかった。それはアメリカそのものの象徴のように思われ、小さな島国にひしめき合い、いがみ合っている日本をあらためて、かみしめさせられたものである。
 「時は金なり」というのは西欧の古いことわざであるが、アメリカ大陸を旅してみると、時間は私の頭上をはるかに越えて、ぐんぐんと進んでしまい、私はいたるところで、二時間ずつ、時計の針を進めなければならなかった。時は、まさに矢のように過ぎ去り、それだけに時間の尊さを教えられる思いだった。
 おかしないいかたかもしれないが、逆に考えると、時間が五つもあるということは、時間がないも同然で、五つの時間を持つアメリカは、だから時間がない国なのである。時間がない国、なんと愉快ではないか。アメリカが天地悠久の国ではないにしても‥‥‥‥


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