「いやになるほどキャバレーにかよえ」

 なにかにつけて、キャバレーに足を向けるのは、男として、まことにやむをえない。つまらぬ気がねをせずに、大いにかよいつめることである。大体、仕事、仕事と、仕事を理由にするのが間違いのもとである。なるほど仕事もあろうが、自分も楽しみたいという下心があることは、とうてい否定するわけにいくまい。好きだからかよう、それで結構ではないか。二次会だから、三次会だからと、理屈はなんとでもつくが、本心は自分がいきたいからに違いない。それならば遠慮は無用、身ゼニを切ってでも、かようにかぎる。それを押えて、おもしろくもない顔をしている方がよほど悪いと思う。
 浮かぬ顔をしているから、女房に疑われる。疑われていると感じるから、遊びを遠ざけようとする。そこでまた浮かない顔になる。実に不合理な悪循環である。こんな調子では仕事も家庭もうまくいくはずがないし、そこで、ときには爆発するにいたっては、愚の骨頂というものであろう。社長一人で万事を切回している中小企業で、そのワンマンが浮かないようでは、もうおしまいである。それほど好きなキャバレーなら、堂々とかよいたまえと提唱するゆえんである。


 こういうと、いかにもけしかけるように誤解されやすいが、少しも心配するにおよばない。つまり、かよいつめれば、いやになるものだからである。
 かようというからには、おそらくお目当ての女性があろう。好きな女性といっしょにいることにご満足なのだが、相手は商売だから、いつも独占するというわけにはいかない。いや、それどころか、ほかに好きなお客がいるのかもしれない。お目当ての女性が席をはずせば、いたしかたなく、ほかの女性と話し、心にもないお世辞をいうことにもなる。こんなことを繰返していれば、いつの間にか、自分がバカにみえてくるのは、男性共通の心理である。そうなると、うれしそうな顔つきでダンスをしている客までがバカにみえ、白々しくなってくるから不思議である。いわゆる虚脱感とでもいうのであろうか。
 一度こういう気持ちが芽ばえると、それからあとは、三次会は二次会までに、二次会もご免こうむるという心境に達する。男というものは気まぐれで、身勝手で、どんなはずみで、またキャバレーを思い出すかわからないが、そうなったら、前どおりにかよいつめるにかぎる。いやになる時期が、以前よりもよほど早くくること、受合いである。二度も経験すれば、その繰返しを重ねることもあるまい。

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