「事業の判断は易者に」

 経済情勢が激しく変わってくると、経営の方向がみきわめられない。先輩や友人にたずねてみたらなおわからなくなった。最近、こういう話を聞かされる。おどろきいるほかない。
 自分が経営している会社なら、自分がいちばんよく知っていなければならないはずである。そのご当人がわからないというのだから、他人にわかる道理がないのである。なによりも、自分の会社の経営方針を、他人に聞くことが不思議でならない。そういう経営者は、資金ぐり、人事、仕入れ、販売など、今後いっさいの社務は、易者におうかがいをたてるように、おすすめしたい。易もなかなかのブームということだから、すべて易者におまかせしたら、どんなものであろう。


 宗教にも、易にも、まして他人にもたよらない、こういう人は信念の人とでもいうのであろうが、この“信念の人”でさえ、ときにはたいへんな失敗をしでかすものである。自分の信念と、判断にしたがってやったことがもののみごとに成功すれば結構であるが、失敗したとなると、その打撃はまことに大きい。そこで、こう考えるのである。失敗の責任がすべて自己にあると思い込んでしまうから救われないわけで、易者のいうとおりに、ことをはこんで、それがうまくいかなかったというなら、むしろあきらめがつくのではなかろうかと。

 世間は広いもので、なんとか宗教にこりかたまっている人たちが案外に多い。自身ではおそらく善男善女のつもりでいるのだろうが、私などの目からみると、悪男悪女という方が当たっていそうな人が多い。人の本能が働くことにあるというのに、それもせず、ただ神仏にすがるのは、むしろ身勝手というものである。他人の家にまで押しかけて、なんとか宗教へ引入れようとするにいたっては、言語道断というほかない。優柔な経営者だけが、なんとか宗教にこりかたまり、神だのみをすればよいのである。
 そして、神さまのお告げか、易のままに会社の経営にあたるというなら、これほど気楽なこともあるまい。会社が倒産しても、ゼイチクのせいで、自分のなんら関知しないことである。ノイローゼになることもあるまいし、世の動きなど、知ったことではない。経営判断は、すべて易者にまかせる。まことに理想的だと思われて仕方がないのである。

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