「チン格道徳講座」

 もう戦後ではない、こういわれるようになってから、道徳教育をめぐる議論がにぎやかになった。すぐに、そのあとから不道徳講座と名乗るものがあらわれ、これはこれで、結構、人気があるらしい。世の中というものは、すべてこんな具合で、一方が白といえば、一方は黒という。右といえば左、保守といえば革新といい、人それぞれが、その言い分に筋をとおそうとするから面倒になるのであるが、そこで考えてみると、表と裏、背と腹のようなもので、片方の面からばかりながめすぎるのである。そこから矛盾が生じてくるのだろうが、私たちすべては、その矛盾のなかに住んでいることも、否定するわけにいかない。
 いま、目の前で起こった交通事故に対してでさえ、人によって判断がちがう。そして、まったく異なった観察や記録が生まれてくる。人間の判断力、理解力というものは、それぞれが育った環境から生まれてくるからであろう。妙な言い方をすれば、世の中は独断の集まりで、お互いに、それを押しつけようとして、白と黒、右と左の争いが生ずるのだと思う。自分自身、内心ではテレていながら、もっともらしい言い回しで、修身を教えていた、あの昔の道徳教育が、そのまま今日の道徳教育に通じるというなら、私はご免をこうむりたい。


 だからといって、いわゆる不道徳講座に賛成するわけではないが……
「正直のこうべに神やどる」と、いくら教え込まれても、世の中に出てみたら、「正直もバカのうち」また「水清ければ魚すまず」といわれる。まさに矛盾である。そこで、人は悩み、怒る。矛盾に満ちていることが、実は当然だという道徳教育が必要なのである。あえて、チン格道徳を提案するゆえんも、ここにある。
 もの好きな人たちから、チン格講座を所望されたら、私は、まずこのように話し出すつもりである。「男というもの、すべて、腰から上は人格者たらんとし、腰から下はチン格者たらんとす」と。
 それは、修身教育と、不道徳講座をつきまぜたようなものと考えていただければ結構で、この講座から、世の矛盾を矛盾と感じることなく、生きていける人が育ってくれるように念願したい。チン格講座の意のあるところを汲み取ってもらえるなら、正直のゆえに泣き、正直のゆえに笑われることもあるまい。こうみえても、私は昔の修身で成績優秀であった。その私が、あえてチン格道徳を提唱する理由がわかっていただけたであろうか。

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