「非常識まかり通る

 かくも、世の中が目まぐるしく変わっていくと、ついていくのに骨が折れる。いっそ、世間の動きなどに、目をつぶってしまえば気楽かもしれないが、それなら死んでしまうか、生きてコジキでもしているほかない。
 この世を生きていこうというなら、バカか、気違いほどの神経を持つことがなにより肝要。そのうえで、大いに長生きすることである。
 それには、日常生活の道義とか誠意とか、そんな面倒くさいものは、思い切りよく、捨ててしまうにかぎる。理由は簡単である。こちらが、それを示しても、相手がわかってくれようとしないのだから、そんなものを身につけていても、なんのタシにもならないということである。

 
およそ、ものごとの処理などというものは、右か左か、進むか退くか、この二つの、どちらかに決めてかかるにかぎる。中途ハンパは絶対禁物、つまり、他人さまの考えがどうあろうと、あたまから無視して、自分の考えだけを、有無をいわせず、相手に押しつけることである。これを押しとおせば、あとは他人さまが、世間さまが、こちらについてくるものである。
 考えてもご覧なさい。いまの日本の、どこに良識がありますか。大正ッ子のいいところは戦争でやられ、明治と昭和がぶつかり合っている。そこに常識を詰め込もうというのが、そもそもの間違いである。明治生まれは、おれがまっとうだというし、昭和生まれは、それをせせら笑うのだから、そこに常識が育つ気づかいがなく、あたり一面非常識だらけである。もっとも、支配権をにぎっているということでは、明治生まれが断然優位に立ち、昭和のあんちゃんは、せいぜいカミナリ族になってわめき散らすぐらいなものである。
 今日、ノーマルな経営者とは、一体どんなやつをさしていうのだろうか。一、二度海を越えて、あちらの国々の変わりぶりをみてきた連中、これが一級かもしれない。本を読んだり、人の話をきくやつ、これが二級。級があるのはここまでで、あとは寝てもさめても、ゼニもうけ、ゼニもうけと目の色を変えている亡者どもである。

 
 
中小企業と名のつくものが全国でざっと三百万。その九割九分までがガリガリ亡者どもで、世間がどう変わろうと、知ったことではないし、目先のゼニを追いかけるのに汲々としている。いずれ大企業になるぞと、根性だけはご立派で、だから社長と呼ばれさえすれば、ただそれだけで、ご満悦である。情けないこと、このうえなしである。
 こういう、ガリガリ亡者に水をぶっかけてやろうというのが「非常識読本」の真意なのだが、それでも、しゃあしゃあとしているというなら、なにをかいわんやである。非常識を振りまわせと、大声をあげるには、どうやら私がもっとも適任者のようである。


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