きみもプロになれ


 かつて栃若時代という大相撲の黄金期を築きあげた栃錦、若の花でさえ、追い越される時期がきたときは“待ったなし”で土俵を去るほかなかった。プロの世界は、非情なまでにきびしいといわれるが、なにもプロにかぎることはない。
 文化が進み、社会の仕組みが複雑になってくると、人の能力を判断することも、たしかにむずかしくなる。といっても、ひとつの仕事で生きていくというなら、ここにも勝負の世界のきびしさが求められる。仕事が余技であっては困る。
 自分の仕事に、だれでも知っている程度の知識しか持っていないというなら、それはプロとはいえない。たとえばプロ野球にしても、レギュラーの地位をかちとるには、きびしい鍛錬に耐えぬかなければならないし、もしそれをきらえば、たちまち脱落し、やがて消え去るほかないであろう。

 このことは、私たちの職業、職場でも同様である。他人よりもすぐれていることが望ましいにちがいないが、いまの世の中はオールマイティを求めているわけではなく、少なくとも一つは他人に負けないというだけの能力と自信を持ってほしいものでである。自信を持つための積み重ね、それが毎日の仕事なのである。
 なるほどプロの世界は、私たちの住む世界とは別のものであろう。まなぶべきはプロ精神である。他人の先手を取り、他人にさきがけて行動する人こそ、プロと呼ぶにふさわしいと思う。特殊な職業や環境にある人々だけをプロと名づけ、なんとなく別の人種のように思いがちなのが、私には不服でならない。職場のプロになろう。職場のプロを育てよう。


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